[スワンニュース=モナンの考え]OECD加盟国の満15歳の生徒を対象とした「国際学力調査」(PISA)の結果によると、韓国生徒の平均読解力スコアは2022年時点で515点となり、2006年の調査時の556点から毎年徐々に低下している傾向にある。 それにもかかわらず、リテラシーの低下に関する問題は、「3日」を「4日」と誤解したり、「退屈な謝罪」の意味を「やることがなくて退屈で面白くない」と誤解した事例のように、若い世代の読解力が低下したという話が浮上した際、一瞬だけ話題になるだけで、その話題が問題の原因を突き止め、解決に向けた取り組みへとつながってはいない。若い世代の読解力低下の原因は何であり、これが今日、私たちが教室で直面する生徒たちの無分別な行動とどのような関連があるのだろうか。
2007年に始まったスマートフォンの革命以来、私たちの生活は完全にデジタル世界に埋もれてしまった。 スマートフォンで考え、AIと感情を分かち合い、人間が持つ豊かな感情表現がSNS上のいくつかの絵文字に集約されてしまった世界で生まれ、幼少期を過ごした世代にとって、デジタルメディアは「活用」される道具である以前に、自らに与えられた「環境」であり、彼ら自身はその中で生きていかなければならない存在に過ぎない。
私たちはスマートフォンを利用してオンラインネットワークの中で生活し、毎日新しいコンテンツを消費しているが、スマートフォンの快楽の裏側で私たちをより強力に支配しているのは、メディアの形式である。指先ひとつで現れる刺激的な映像、自分の好みに合わせたアルゴリズム――これらが私たちの生活習慣を調整し、思考の速度を制御し、感情の流れを設計する。 問題は、液晶画面の向こう側にいる他者を眺める際、人間が自らを多面的かつ感情的な存在として認識する意識が失われ、実体のない仮想的な機械的な対象のみを認識してしまうという点にある。このような特徴により、デジタル革命以降に育った新しい世代である子供たちの、他者に対する認識や態度に重要な変化が生じた。
教室は社会的な交流が行われる場所だが、液晶画面の前は私的な空間のままである。教室は生徒の知的発達に重点を置くが、画面の前では楽しみだけに集中するよう強要される。 学校への出席は義務である一方、SNSの利用は任意である。学校には「公共のマナー」という概念が存在するが、YouTubeを見る際には「公共のマナー」という概念は存在しない。 「楽しさ」とは、教室では目的を達成するための手段に過ぎないが、今日のデジタル時代においては、楽しさそのものがあらゆる行動の目的となっている。学習においては、学習の内容よりも、学ぶ過程を通じて形成される態度の方が重要な場合がある。 人間は行動する通りに体得するものであり、スマートフォンのようなデジタルメディアは、子どもたちがスマートフォンを使用する際に引き起こされる行動習慣通りに、教室でも行動するように教え込んでしまう。今日、私たちが学校で見かける光景は、生徒たちが授業中もほぼ常に騒ぎ、音楽を聴き、構うことなくふざけ合っている姿である。 他者と向き合う際に守るべき伝統的な公共のマナーが失われたこのような態度は、他者と向き合う感覚が失われたデジタル環境で育った子どもたちにとって、当然の帰結なのである。
こうした論理の延長線上から、今日増加しているリテラシーの低下の原因を推測することもできる。今日のリテラシーの低下は、どの時代にも存在した「勉強が嫌いな」生徒たちの「面倒くささ」ではなく、過剰な情報や画像に刺激され、集中できなくなってしまった身体と、文字によって成り立つしかない学習過程との不調和によるものである。 子どもたちは、ハンバーガーを手に入れるのと同じような方法で、あるいはYouTubeに溢れる短くて刺激的な映像を見るのと同じように、「退屈しない」形で本から情報を得たいと望んでおり、こうした要求に応えることは不可能である。 2024年の統計庁の資料によると、18歳未満の子を持つ夫婦世帯の58.5%が共働きであることが調査で明らかになった。 両親を共働きへと追い込む社会の圧力により、親と子どもが一緒に過ごす時間は減り続けている状況下で、教師たちは次第に「代理親」の役割を担い、生徒たちに最も基本的な社会的規範を教え、最低限の社会化しか受けていない10代の若者たちに、個人的かつ情緒的な支援を提供しなければならないという期待まで背負わされるようになっている。
スマートフォンで考え、AIと感情を分かち合い、SNSを通じて学ぶ、数え切れないほどの画像に支えられた社会環境の中で生きる私たちの世代にとって、読解力の低下はむしろ当然の成り行きなのかもしれない。 このような環境で育った子どもたちに対して、メディア時代を招いた大人たちが「スマートフォンを切って本を読め」と求めるのは、もしかすると筋が通っていないのではないか。 スマートフォンは電源を切ることができるが、スマートフォンが生み出した環境の電源を切ることはできない。教室や家庭における子どもたちの態度やリテラシーの変化を望むなら、注目すべきは子どもたちが生きるメディアと環境である。
偏った考え

