[スワンニュース=イ・ゴンヨン] 韓国は毎年、自殺率がOECD加盟国の中で圧倒的な1位を記録している。特に青少年の自殺は、個人の衝動や精神力の弱さの問題ではなく、長期間にわたり蓄積された社会構造的な圧迫の結果であるという点から、より深刻に捉える必要がある。その構造の核心には、入試競争と私教育中心の教育環境が存在している。
韓国の大学入試競争が生み出した極端なプレッシャー
韓国の教育システムは、長きにわたり「上位の数校」と「特定の職業」のみを成功の基準としてきた。特に「医学部」は、安定した職業と高収入を同時に保証する象徴として定着し、入試競争の頂点となった。
かつては「公務員」が安定した職業の代名詞であったが、現在では低賃金や過度な苦情対応によるストレスにより、その認識は変わった。その結果、多くの親や学生は、社会的評価と経済的安定を同時に得られる国家専門資格を要する職業、中でも「医師」というただ一つの目標に殺到するようになった。
問題は、この過程で生徒一人ひとりの適性や選択が失われ、失敗が許されない競争構造だけが残ってしまったという点だ。この競争で遅れをとることは、単なる成績の低下ではなく、「人生の失敗」と認識され、青少年に極度の心理的プレッシャーを与えている。
「医学部」を目指す早期の塾通いがもたらした燃え尽き症候群
こうした入試競争は、ますます早い年齢層へと広がっている。いわゆる「4歳受験」「7歳受験」という言葉が生まれた背景には、早期に塾通いを始めなければ取り残されてしまうという不安がある。
もともと小学校高学年から始まっていた受験準備が、今では幼児期にまで拡大し、子どもたちは遊びや休息の代わりに、塾や問題集の中で成長することになった。 放課後から夜10時まで続く塾のスケジュール、コンビニの食事で済ませる夕食が日常となり、これは単なる疲労にとどまらず、情緒的な消耗や無気力感へとつながっている。
このように、休む間もなく走り続けなければならない環境は、青少年たちに「立ち止まれば取り残される」というメッセージを絶えず与え、失敗への恐怖を内面化させてしまう。
「医学部」への進学を強要される子どもたち、失われつつある選択権
親の期待は、子供たちに直接的なプレッシャーとして伝わってくる。
「君は絶対に医学部に行かなきゃいけないよ。」「医学部
に行けば、人生は成功したも同然だ。」
こうした言葉は励ましのようにも聞こえるかもしれないが、成績が伸びなかったり、医師になることが夢ではない生徒たちにとっては、存在そのものを否定されるようなメッセージとして受け取られてしまう。自分の夢とは関係なく、ただ一つの目標だけを押し付けられる状況下で、青少年たちは次第に、自分が何を望んでいるのかを考える機会さえ失っていく。
「工科大学に行きたい」「専門大学に行って早く就職したい」といった言葉さえ、簡単には口に出せない雰囲気の中で、子どもたちは失敗よりも、親の失望や社会的な烙印を恐れるようになる。この過程で蓄積された挫折感は、深刻な精神的危機につながる恐れがある。
大学入試という単一の基準がもたらす極端な結果
韓国の教育は、依然として「大学修学能力試験」というたった一つの試験に過度に大きな意味を付与している。このため、一部のトップクラスの生徒たちは高校を中退し、高卒認定試験と大学修学能力試験だけに専念するという選択をするケースもあった。
政府は高校単位制や5段階評価制の導入などにより、こうした問題を緩和しようとしたが、入試中心の構造そのものは大きく変わらなかった。特に、特定の年の大学修学能力試験の難易度をめぐる論争は、生徒たちに努力ではどうにもできない挫折感を与え、自分の未来が一日の試験で決まってしまうという認識をさらに強めている。
このような環境下では、失敗は「取り返しのつかない落伍」と認識され、青少年の心理的負担は極限まで高まってしまう。
受験の失敗が自尊心の崩壊につながる時
中学校、高校、大学へと続く入試競争は、最短で9年、長い場合は12年以上も続く。この長い期間、成績と順位だけで評価されてきた生徒たちにとって、入試の失敗は単なる結果ではない。それは、自分のすべてが否定されたと感じる経験となる。
受験で挫折した生徒の中には、自尊心が急激に低下し、親との関係が断絶し、社会や自分自身から孤立してしまう者もいる。このような時、周囲の無関心や「次は頑張ればいい」といった軽々しい慰めの言葉は、かえって傷となることがある。
青少年の自殺を防ぐためには、個人の意志や精神力を責めるのではなく、失敗を許さない入試制度や、塾中心の社会を根本から見直すべきである。そして何よりも重要なのは、成績に関係なく、存在そのものが尊重されているというメッセージを子どもたちに伝えることだ。
イ・ゴンヨン

